ネット論破マン、田中誠の華麗なる(そして赤面必至の)転生

田中誠(35歳、独身、趣味:エゴサーチ)は、自らをデジタル世界のジャンヌ・ダルクだと信じていた。彼の聖戦の場はSNS。彼の聖剣はスマホのフリック入力。そして彼の神託は「俺は絶対に正しい」という揺るぎない信念だった。

彼の日常は、意見の違う投稿を探すことから始まる。それはまるで、トリュフ豚が高級食材を探し当てるかのような執念深さだった。

そして標的を見つけるやいなや、彼は「正義のキーボード」をひらめかせ、相手がぐうの音も出なくなるまで「ファクト」と「ロジック」という名の棍棒で殴り続けた。

彼の辞書に「寛容」という言葉はなく、あるのは「論破」「ブロック」「ミュート」の三種の神器だけだった。

そんな彼がある日、「#みんな寛容になろう」という、見るからに生ぬるいハッシュタグを発見した。

「けっ!思考停止した平和ボケが!」

田中は、このハッシュタグに集う人々を啓蒙してやるべく、最も「いいね」を集めていた鳩のアイコンのアカウント、その名も「ハトヤマ」に狙いを定めた。

田中誠:「寛容?笑わせるな。不寛容な連中にまで寛容でいたら、社会は崩壊するんだよ。少しは勉強したらどうだ?」

ハトヤマ:「こんにちは。色々なご意見がありますよね。とても興味深いです。」

(こ、こいつ…煽っているのか?)田中は、ハトヤマのあまりののれんっぷりに逆に火が付いた。彼は持てる語彙のすべてを動員し、ハトヤマを「偽善者」「お花畑」と罵った。すると、ハトヤマは静かに一つのリンクを貼ってきた。

ハトヤマ:「もしよろしければ、カール・ポパーの『寛容のパラドックス』について読んでみませんか?あなたの仰ることにも、一理あるかもしれません。」

「上等だ」。田中は相手の土俵で叩き潰すのが流儀だ。彼はリンクを開き、そして出会った。

「無制限の寛容は確実に寛容の消失を導く。ゆえに我々は主張しないといけない。寛容の名において、不寛容に寛容であらざる権利を」。

「こ、これだーーーーっ!」

田中は歓喜の声を上げた。自分の日々の行いは、単なる言い争いではなかった。寛容な社会を守るための、気高い哲学的な実践だったのだ!

彼はこの「寛容のパラドックス」という名の免許皆伝の巻物を手に入れ、鬼に金棒、田中にスマホ状態で、さらに攻撃性を増していった。

しかし、何かがおかしかった。彼は「不寛容な者」を成敗しているはずなのに、なぜかフォロワーは減り続け、ブロックされる数は天井知らず。しまいには「お前が一番不寛容な怪物だ」というありがたくない称号まで頂戴した。

追い詰められた田中は、再びハトヤマに突撃した。

「おい!お前のせいだぞ!俺は哲学的に正しいはずなのに、なぜ孤立するんだ!」

ハトヤマ:「田中さん。ポパーが警鐘を鳴らしたのは、対話そのものを破壊しようとする暴力的な不寛容に対してです 1。あなたのやっていることは、単に意見の違う相手の人格を否定し、罵倒しているだけではありませんか?それは『不寛容への抵抗』ではなく、ただの『あなたの不寛容』ですよ。」

さらにハトヤマは続けた。

「ヴォルテールという哲学者はこう言いました。『自分がしてほしくないことは、他者にもしてはいけない』と。あなたは、見ず知らずの人に『お前は間違っている、勉強しろ』と罵倒されたいですか?」

雷に打たれたような衝撃だった。田中は「正しさ」という鎧でガチガチに固まり、鎧の隙間から相手を見ることすら忘れていた。彼がやっていたのは対話ではなく、ただの辻斬りだったのだ。

その日から、田中誠は生まれ変わった。彼はまず、アカウント名を「田中誠(リハビリ中)」に変更した。そして、かつて自分が斬り捨てたアカウントを訪れては、拙いながらも「アサーティブ・コミュニケーション」を試みた。

田中誠(リハビリ中):「以前は大変失礼な物言いをしてしまい、申し訳ありませんでした。『私』はあなたの意見について、〇〇という点に少し違う考えを持っているのですが、もしよろしければ、もう少し詳しくあなたの視点をお聞かせいただけないでしょうか?」

最初は「誰だお前は」と塩をまかれていた彼も、誠実な対話を続けるうちに、少しずつ議論のキャッチボールができるようになっていった。

今や、田中はネットの片隅で、かつての自分のような「正義の十字軍」を見守っている。彼らは「寛容のパラドックス」を覚えたての子供のように振り回し、自分が一番賢く、正しいと信じ込んでいる。その姿は、半年前の自分を見ているようで、少しだけ頬が熱くなる。

彼はもう、彼らを論破しようとは思わない。ただ、彼らが「怒り」や「恐怖」に反応すればするほど、プラットフォームのアルゴリズムを喜ばせ、広告収益に貢献しているだけの、哀れな操り人形であることを知っているからだ。

田中はそっとスマホを閉じ、窓の外を見た。空には一羽の鳩が飛んでいた。彼は思う。本当の強さとは、相手を打ち負かすことではない。意見の違う相手を前にしても、なお対話のテーブルに着き続ける、その粘り強さなのだと。

そして彼は、今日もネットの荒野で、迷える「正義マン」たちにそっとリプライを送るのだ。

「こんにちは。色々なご意見がありますよね」と。